力試しと発見とやりたいこと

「その時、何をして、何を思ったのか」を綴る僕の留学記。毎日更新予定。ありのままの様子を書きたい。インドネシアは、人々の生活の様子や習慣ひいては宗教との関わりを現地から自分の目で見て、味わって、体験したい。

【閲覧注意】Pemotonganと水牛とトラジャの文化

トラジャ10日目

色々あって更新できてませんでした。

この日は葬式の中でもPemotongan(訳:切断)の日に参加しました。要は水牛を殺す日です。

生々しいですが、説明を聞くと「生贄」とはニュアンスが違う気がしたので翻訳するのが難しく、そのままの表現にしました。

終盤にショッキングな画像を加工無しで載せていますので苦手な方はご遠慮ください。

 

道中、水牛の世話をする子供たちに遭遇

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カメラを向けるとピースしてくれました。

 

こんな感じでトラジャでは生活の中に「聖なる生き物」である水牛が溶け込んでいます。

この時は水牛のお風呂の最中。人間とほぼ変わらない扱いを受けます。

病気の際には医者に連れていくそうです。そのためトラジャの水牛は凄く元気

 

以前初日に参加した2人分の葬式に参加しました。
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初日とは打って変わって人はかなり少なめ。
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恐らくこの後切られてしまう水牛たち
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こんな小さい子も水牛を手名付けるのが当たり前の世界です。
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水牛をカメラ目線に持っていくようにうまいこと頑張ってくれました。
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儀礼が始まる前に中心の広場に集められる水牛たち。この時は15匹いました。

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前日に捧げられた分の血が残っていてちょっと生々しい。

 

うち2匹がバトル開始

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この時は周りも大盛り上がり

 

この顔が白い牛は一匹だけ目立っていたのですが、これは教会に寄付されるとのこと。

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今回参加した葬式はハイクラスの方なので最低でも24匹の水牛が必要です。それが2人分なので50匹くらいは水牛がいるんだと思います。

 

何匹生贄に捧げて、何匹このPemotonganの日に扱って、何匹寄付するのかなどの配分は家族や村のしきたりによるらしいです。

その他にも、別の家族の葬式の際に生贄として提供する際にキープしておく分や、売ってしまって葬式の費用に補填するなど使い方は様々だそう。

この日の水牛は参加者や村の人々に分配されるものになります。結果9匹が切られました。豪快な葬式だと残った全てを切る場合もあるそうで、今回参加したのは割と控えめな感じでした。

 

真ん中に持って来られ、片足を固定されます。
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この後一匹ずつ首を切られました。

一回切られても平気で立っている水牛もいて複数回切られる場合もありました。これもザラだそうです。

切られても暴れまわるのがほとんどで、何度か逃げたりもしました。

 

全てカメラに収めましたが、儀礼後の様子飲み写真で
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この後解体されるようでしたが、血の匂いがかなりしんどくて帰りました。

これもトラジャの文化と思って理解しようとしてましたが、文化って何なんだろうって疑問に思いました。

 

正直よくわかりません。

「普段食べてるお肉はこうやって命を頂いてるんです。感謝しましょうね。」って確認する機会なわけでもない。もしかしたら聞いていないだけで内包しているかもしれませんが、あくまで儀礼の一過程です。「聖なる動物」として扱われている水牛が故人をプヤと呼ばれるパラダイスへの箱舟、そして人々に肉として恵みを与えるものとして崇められている。

 

重要な生き物なのに、何故大量に生贄にして食すのか。

今までイスラム圏に長い間居たので、聖なる生き物(イスラムでは豚)は食べないのが普通という認識の世界に慣れていたので余計に違和感があるのかもしれません。

トラジャで多数派のキリスト教は「食べてはいけない」という点では他の世界宗教よりかはトラジャの世界観に適している気がしました。

現にステイ先の家族は「犬肉美味しいから、ハラム(イスラム教的な禁忌)として犬が敬遠されているのは納得いかない」って言ってました。

 

聖なる生き物、大切な生き物だから「食べない」

のではなくて

だからこそ特別な日に思いっきり味わうというのがトラジャに近い気がしました。

 

その特別感こそが、トラジャ人観においては人生で最高潮として捉えらえる葬式の醍醐味となっているのか。

自分の中ではこういう結論に至りましたが、咀嚼しきれてはいません。

よくわからない。でもよくわからないものを沢山見れて経験値は付いたかなと思います。

 

何はともあれ、幸運なことにトラジャの葬式、結婚式、建築祝いの全てに、すべての過程に参加できました。時のめぐりあわせとはいえ、これは誇れるなと感じました。