グドゥン・サテとバンドン会議とモスク
バンドン2日目
バンドンは周囲を山に囲まれている比較的高地なので涼しく、夜には20℃前後まで下がります。長袖長ズボンで寝丁度いい感じでした。
さて、今日はバンドンの有名なところを案内してもらいました。
まずはGedung Sate
Gedungは「建物」、Sateはたびたび紹介したネシア風焼き鳥です。
直訳すると「サテの建物」
何故かというと…
建物の上にサテみたいな避雷針が立っているから!
象徴としては小さいことは気にしない…
このグドゥン・サテは西ジャワ州の政治的中枢を担うきちんとした建物です。
入り口には警備員が常駐していてダメもとで「入れますか?」と聞いても勿論ダメでした。
噴水もあってめっちゃ綺麗。
このグドゥン・サテの真裏に博物館があります。
しょうがないので徒歩移動
地面にバティック(ろうを使って染めるインドネシアの伝統衣装)の柄が刻まれていました。
地域ごとで模様が異なるし、地面にも色んな種類があったので楽しめました。
博物館到着~
入り口には急にオシャな装飾
プロジェクションマッピングが見れるそうなんですが全く始まる気配がありませんでした。
地図もわざわざ上からプロジェクターで照らしてます。
気球の上から眺めれるVR体験もできました。
自分と画面の映像が合成されて昔の生活空間での記念撮影も
総じて博物館のオシャレ度が高過ぎて驚きました。恐るべしバンドン…。
グドゥン・サテの一番上がヒンドゥーのプラ(奇数の数重なった塔)なので、バンドンという街そのものはヒンドゥー色が割と残っているように感じました。
続いてバンドン会議の会場が博物館になったアジア・アフリカ博物館に行きました。
バンドン会議とは1955年にアジア・アフリカの各国首脳が集まり平和十原則を定めた会議です。参加国は第二次世界大戦後に植民地から独立した国々です。日本も参加していました。
入ってすぐ目に入ったのは、当時のスカルノ大統領が演説している様子が展示されています。
当時使われていた椅子やら
録音機器・タイプライターやらが展示されていたり
会議が開かれるまで植民地化や
アパルトヘイトなど
植民地国の厳しい状況が紹介されていたりしました。
会議の様子の写真
各国の新聞記事の報道も展示されていました。
そして奥には会議場そのものが展示(恐らく改修済)
国章のガルーダや各国の国旗、大統領の写真
開催後50周年の記念品と
60周年の記念品も飾られていました。
最後に全体像を
Alun Alunという公園付近の散策もしました。
めっちゃ綺麗な芝生の公園。
公園の目の前にバンドンで一番大きいのMasjid Raya Bandungが
異教徒でも入れるらしく、せっかくなのでお邪魔しました。
お祈りの時間を避ければ入れるようです。女性もスカーフを巻かなくても入れました。
お祈りの場所は男性女性分かれていました。奥に行くと男性用の場所、
内装だけ写真を撮らせてもらいました。
ロンボク、アチェでもモスクにお邪魔する貴重な経験をしましたが、バンドンのモスクは街並みのオシャレな雰囲気に反して少し落ち着いた印象でした。
天井もそこまで色は使わずシックな印象。
入り口周辺にはイスラムを彷彿とさせる模様や装飾がちらほら
そしてモスクの塔に登れるらしいので行ってきました。
夕日とモスク
先ほどの芝生も上から見るとこんな感じ。
赤い屋根はオランダ占領時代の名残でオランダ式の建物
工事中か解体中か分からない建物も見えました。
鉄格子は塔をモチーフにしていました。
モスクの塔の上にもプラが
バンドンはイスラムが多数派ですが、ヒンドゥーの名残を残したままイスラムに移行した歴史的経緯があるのかもしれません。勉強します。
一日バンドンを周ってみて宗教的な観点からアチェと比べると差は歴然でした。
良く言えばフレキシブル、悪く言えば敬虔さに欠けている印象を受けました。アチェに比較的滞在したことで、一口にインドネシアのイスラムといっても地域差が激しいことを身を持って感じる良い経験ができたと思います。