アチェの住居とモスクの歴史とサテマタン
アチェ8日目
今日は朝ゆっくりめにアチェ博物館からスタートです。
前回の滞在でも紹介したので気になる方はこちらから。
アチェの住居です。
1階部分が吹き抜けになっていて、屋根が大きな三角、色合い等が特徴です
これはアチェ人が建てたものではなく、オランダ人が建てたという話を聞きました。
というのも壁面の模様がハート形、十字といったキリスト教を彷彿とさせる文様が刻まれているからだそうです。
パッと見の見た目はアチェの家ですが、細部はボロが出ているようです。
一般的なアチェの住居にはアチェ特有のお花の模様が刻まれています。
イスラム教との兼ね合いで動物の彫刻を施すことは無いようです。
家の中も展示品があるので見てきました。
入り口
アチェの伝統的な家屋は3つの空間で成り立っています。
- 客間
- ベッドルーム
- キッチン
このうちベッドルームとキッチンは家族の空間。よって家族以外の人は入ることができません。以前、アチェの友人の家に遊びに行ったのですが客間側とキッチン側の両方に入り口がありました。
こちらが第一の空間。
住居の外には鐘が飾られています。明朝の時代にムスリムの君主から送られた鐘だそうです。
上にプラ(多重の塔)が見られるので、当時のヒンドゥーの影響を垣間見ることができます。
そして模型と共にグランドモスクの歴史が紹介されていました。
こちらは初期のグランドモスク
ヒンドゥーっぽさはありますが、塔の数が奇数ではないので少し違うかもしれません。
この初期のものは焼けてなくなってしまいました。
当時からもモスクは集会の場としても活用されており、モスク内で反旗を翻す計画を立てていると考えたオランダ軍が火をつけたそうです。
それまではこんな感じで賑わっていたそう。
当時はモスクに訪れる際はゾウに乗っていくのが主流だったようです。
その後オランダによって建てられたモスクがこちら
暫くの間、このモスクでお祈りをする人はいなかったそうです。
他の地域に自分たちで建てたモスクでお祈りしていたそう。
徐々に拡張されて行きます。
現在はこれよりも更に増設されています。
博物館見学を終えて日本食レストランのハナカフェへ
レバランで休業中でしたが日本人の奥さんにせっかくなのでお会いしに行きました。
前回食べに行った時の様子はこちらから。
最後に記念写真。
そして夜ご飯はサテマタン(マタン風の串焼き)マタンはアチェの地名で、サテは基本焼き鳥なんですがサテマタンは牛肉です。
一番美味しいと評判のお店へ
大好きなテロンブランダジュース。
スマトラ島以外で滅多に飲めないので見つけたら是非飲んでみてください。
サテマタン到着
米、ソース、スープ、ジュースも併せて40,000ルピア(300円くらい)
その後はステーキハウスのご主人(日本語ペラペラ)もご一緒してみんなでンゴピ
バンドンからの友達はこの日が最後でした。
アチェ歴は3週間と短いですが、そんな僕の友達も一緒に連れて行ってくれたり、ご飯やコーヒーを飲んだりできる友達がアチェにはたくさんできました。
お話を聞くと住むのはやはり大変なようですが、それを踏まえてもたくさんの人と知り合って仲良くなれたアチェが好きだなと感じる一日でした。