力試しと発見とやりたいこと

「その時、何をして、何を思ったのか」を綴る僕の留学記。毎日更新予定。ありのままの様子を書きたい。インドネシアは、人々の生活の様子や習慣ひいては宗教との関わりを現地から自分の目で見て、味わって、体験したい。

プアサ2日目とイッシャとジャワから見たアチェ

アチェ9日目

今日は昨日の反省を活かして4時起きをちゃんと成功させて、サフール(朝ご飯)をしっかり摂取してプアサ開始に備えることができました。

 

予想以上にガッツリ

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普通にご飯2杯分くらい食べたので満腹です。

意外と食べれました。その後二度寝

相変わらず日中はネットで時間を潰したり、衝動的にハングル文字を練習したりして昨日より有意義な時間を過ごせました。

 

さて、ブカプアサ(断食明け)は友達と外食で過ごしました。

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ちゃんと朝食べたので昨日よりきつくなく、意外と普通にできました。初日がハード過ぎて慣れたっぽいです。

 

19時前に断食が明けて20時には店が真っ暗に

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イッシャ(ブカプアサ後のお祈り)があるので、それが終わる21時までは(この店の場合は体裁上)店を閉めなければならないそうです。

 

僕も断食前のイッシャのお祈りに参加しましたが、アラビア語わかんないし動作も真似はできるけど意味はわからないし1時間ちょっとあるので長いから疲れるし大変でした…。

とても貴重な経験でしたが…。

 

インドネシア人と日本人2人ずつで食事したのですが、2人ともアチェではなくジャワ人

ジャワ人から見たアチェの話を聞いて、すごく勉強になりました。

 

彼ら曰く、アチェに来て嫌な思いしたことが何度かあるそう。

インドネシアは各地方でそれぞれの地方語があって、全く違うのでサッパリ分かりません。

そんな中人通りの多い市場やモールを歩いているとジャワ語で会話していると「ジャワに帰れ〜」なんて言われたこともあるらしい。

 

他にも出身を聞かれた時も「ジャワ出身」と答えると、「なんでアチェに来たの?」と少し怖い感じで言われるんだそう。

ちょっと誤魔化して「バリ出身」「スマトラの他の地域から」というと「アチェはどう?」という反応の差があるらしい。

最初はカルチャーショックで辛かったそうですが、もう慣れたそうです。

 

ちなみに位置関係はこんな感じ 。

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 (マ)ラッカ海峡と書いてある、ラとッの間らへんの先端部分が滞在中のバンダアチェです。

 

翻って自分自身は特にそういった対応をされたことはなく、地震の復興等も関係があるのか外国の人には割とウェルカムな印象。

 

一方ジャワアチェはというと、ジャワ側が鉱山開発の取り分をアチェ側に還元しなかったり、歴史的にも紛争等でいぞこざがあったのでそれを引きずっているのでは…という話になりました。

 

同じ国の中でもこうした民族間での溝があるのも、多様性を謳っているインドネシアの特徴かなと思います。

そして住んでいる人だからこそ、インドネシア人だからこそわかるアチェの一面を知れて良かったなと思いました。

確かにアチェの人々はアチェ愛が凄すぎて、ソリが合わないことも多々あるんだろうなと思います。