力試しと発見とやりたいこと

「その時、何をして、何を思ったのか」を綴る僕の留学記。毎日更新予定。ありのままの様子を書きたい。インドネシアは、人々の生活の様子や習慣ひいては宗教との関わりを現地から自分の目で見て、味わって、体験したい。

アチェ舞踊と津波とステーキ

アチェ2日目

夜更新する元気がなかったので朝更新です。

アチェ津波博物館に行ってきました。

 

博物館併設のステージにてアチェ舞踊が披露されるということだったので観てきました。

 

まずは女性の踊り手による歓迎の踊り、ランプアン
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山型の踊りで使う道具のなかには葉っぱで包んだお菓子が入っているそうです。

 

舞踊後に客席の何人かに配っていました。
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続いて男性の踊り手によるサマンダヨウ

「千本の手の踊り」として紹介されていました。
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音楽は一切なく、声と自身の体でを使って発する音と激しい動きが合わさった踊りで迫力がありました。

 

鑑賞後にミュージアム

入り口の前に当時被害に遭ったヘリコプター

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入り口入ってすぐは「津波の通路」
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暗いトンネルの中には津波が迫ってくる音がずっと流れていて疑似体験しました。

 

トンネルを抜けると当時の被害の写真が

日本と違うのは割と生々しい写真が使われていること

基本的には建物の被害の写真ばかりですが、アチェの方人々も映っている写真も展示されていました。
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写真の展示スペースを後にすると円錐型の空間に

壁面には当時の被害者の方の名前の一部が刻まれていました。
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そしててっぺんにはアッラーが見守ってくれているとのこと
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この空間の高さは当時の津波の最大の高さと同じです。

 

ここを出るとらせん状の通路に繋がります。

アチェスマトラ沖地震までは紛争が絶えない地域でした。その中で大地震津波により大きな被害を受けました。その困難をらせん状の長い道のりで表現していて、生き残った人が次に進めるという意味があるそうです。

 

そこを抜けると少し見えにくいですが、支援をしてくれた各国の国旗と、その国の言葉で「平和」を意味する単語が飾られています。
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その下に架かる橋は「希望の橋」と呼ばれているそうです。
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アチェの人々は自身と津波による被害を悲観的に捉えず、平和への第一歩と考えたようです。津波があって紛争が終わり、それまでは危険な地域として見られていましたが世界中から援助の手が差し伸べられて復興に向かうことができたという話を聞きました。

 

ミュージアムの全体図です。
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建築のデザインとしてはが表現されていて、屋上は避難所になっているようです。他にも色んな意味や機能を有している博物館になっていました。

 

他の展示エリアで気になったものを紹介。

 

地震以前のアチェ
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地震後、引き潮によって海辺に魚がたくさんいることに気付いて避難するどころか魚を獲りに行ってしまった人が多くいたそうです。
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崩壊した建物の上で談笑する様子。
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前向きな精神が本当にすごいなと思いました。

 

2000トン越えの発電施設が何キロも流されたようです。
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今はそのまま博物館になっているようで、後日行く予定です。

 

当時のものがそのまま
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この漁船の上に避難した人が56人助かったそうです。
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津波後の沿岸部の様子。
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モスクだけ残ったそうで奇跡のモスクと呼ばれています。

アチェでモスクだけ無事残ったことが意味深いなと思いました。

 

この博物館を案内してくれたのが今回の滞在ですごくお世話になっている、アジジ

彼自身、紛争とこの地震を経験してようやく平和になったんだよという話を経験者からされてすごく考えさせられました。

 

かえって少し休憩して夜ごはんはステーキ

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これで90,000ルピアなので800円くらい?
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オーナーさんがまた日本語ペラペラでビックリしました。

 

アチェ・東北コミュニティアート事業に加わっているそうです。こっちに来て初めて知りました。慈善事業なんだけど、お金が出ればねぇ…って話してました。ご苦労様です。

 

他にも日本人は礼儀にうるさすぎる~とかの話をしてめっちゃ盛り上がりました。

礼儀に厳しくされてきた大人が上のポジションにいるからしょうがないんですという偏見を伝えておきました。